時代の流れ [新聞]
新聞にエコの話題が出てくるたび、条件反射的に、新聞社はペーパーレス化をどのように考えているのかと思ってしまう。どれだけ再生紙を取り入れようとも、使用される資源や(印刷から配達に関わる)エネルギー量は甚大なモノであるだろうに。
5大紙をはじめとする新聞社がいずれも優良企業で、雇用の面でも国に貢献しているのは分かるが、再販制度やクロスオーナーシップなど過剰に保護されているのを見ると、なんだかなと云いたくもなる。
どの業界も然程変わりはないのだろうが、メディアにも業界的タブーというのはあって、そのデリケートな部分に土足で入り込む輩は徹底的に排除される。クロスオーナーシップに斬り込み、再販制度や記者クラブ制の在り方に疑問を呈したホリえもんがイイ例かもしれない。みんながこぞって口を噤んできたタブーや既得権益を無邪気に露見させ、経団連あたりの長老が嫌味たらしく吐く苦言をビジネスの常識を盾に飄々と切り抜ける堀江は見ようによっては爽快な存在だった。
しかし、メディアを取り巻く風向きの変化は堀江の出現に因ってではなく、皮肉なことに彼の退場によってもたらされたと云えそうだ。堀江の逮捕後、NHKを含めたマスコミ全体の報道の方向性が統一されたような感じがしたのだ。これは今にして思えば(或いはそう遠くない将来から振り返ったとき)、安倍晋三による独裁政治の黎明期と位置づけるに相応しい時期なのかもしれない。闇社会の取締りは一段落した感はあるものの、地方公務員や地方行政首長の不祥事の摘発が相次いでいる。が、福島県知事に向けられた疑惑なんかの報道を見ていると、あたり障りのないトコロ(どちらかと云えば今の自民党にとっては有利に働く)をもってきたもんだよなぁ、と感心させられる。やはり、どうしてもその陰に『格差の解消』の御旗の下、せっせと帳じりあわせをする政府(安倍)の顔を想像してしまうのだけれど、それは考え過ぎなのだろうか?
話題は変わるが、テレビの話題がちょっと出たので、もう一つだけ。
この年末からデジタル放送のネット配信がはじまるようだ。今後テレビは、放送事業者の編成したプログラムに沿って送出される(どちらかといえばTV局の都合に重きが置かれる)ブロードキャストから、視聴者の必要な時に必要なモノを提供するマルチキャストへとシフトせざるを得ないだろう。規制や著作権、或いは広告収入型のビジネスモデルの見直しなど乗り越えなければならない課題は少なくないが、既にネットでは常識になりつつあるオンデマンドの潮流に抗うことは難しいと思う。先にも書いたが、今、新聞やニュース番組は金太郎飴みたいで非常につまらないモノになっている。民主党あたりにネットをコントロールする能力があればハナシは別だが、つまらない本流に支流が増えるだけと見るべきかもしれない。もしかすると、採算に合わない支流が増え過ぎて、本流の形態が様変わりする日がくるかもしれない、と密かに期待している。新聞が新聞でなくなる日だ。






